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東日本大震災の避難に関する考察

 回顧録を投稿したのは、読んでいただいた方の防災意識を高め、私達の経験談から何かの学びを得ていただけたらとの思いからでした。家族と会社の皆が無事だったことは、奇跡とも思える数々の偶然が重なったことに加え、私の津波への危機意識が高かったことも幸いしました。10年の節目に際し、当時の3日間を振り返りながら、良い面悪い面を考察していきたいと思います。

 

【地震がくる前】

○2日前の地震の際に、保育所に迎えに来なかった保護者が多数おり、地震の際は保護者はすぐに迎えにかけつけることを強く指導されていた。

保育所が海の近くだったため保育所の危機意識が高く、日頃から様々な取り組みがされていた。

・日頃からお散歩中にお会いした地域の方々に、有事の際にはご協力いただけるようお願いしていた。

・保護者向けに、市の危機管理課や消防署職員の講話を開いていた。

・小さな地震でもすぐ隣の中央公民館に避難し、避難に慣れておいた。

・災害備蓄品を中央公民館に置かせてもらっていた。加えて当日の持ち出し品もあった。中身は濡れないようにビニール袋を2重にしていた。

 ○講話で「30年以内に高確率で大地震が来ると予想され、保育所の津波の高さは10mをシミュレーションしている」と聴いた私は、自分の生涯で必ず大規模災害がくるのだと認識していた。

私は生まれ育った環境により、潮の流れと強さの恐怖を知っていた。

 

 【地震がきたとき】

 

✖デスクトップパソコンや貴重品をどうしようかと迷い、避難に時間を要した。

✖一階の物を二階に移そうかと迷い、避難に時間を要した。

✖事務机やキャビネットや冷蔵庫から飛び出した中身を片付けたのは無駄だった。

✖以上のことから時間が経過し焦り、水を用意する時間を惜しんで持っていかなかった。

✖午前中作った大量のホットケーキを、袋に移す時間を惜しんで持っていかなかった。皿ごとでいいから持っていけばよかった。

✖ジュースが数本あったのに、飲みかけを気にして持っていかなかった。

✖買い出し直前で、持っていく食料がなかった。ストック食品は大事。

○以上のことから、最低限の水と食料の準備を一番先にするとよい。

道路が渋滞になることを予測して、自転車で移動した。

 

【小学校で】

○川沿いだが3階建てなので、上の子の命は助かると思えた。

○ずっと居座らず、数分でその場を後にした。

○小学校は下校途中の地震の際、登下校班ごとに「学校へ引き返す」or「自宅に戻る」の境界を細かく決めていたので、下校中の低学年の子供達がちゃんと学校に戻ってきた。

 ✖災害備蓄品が体育館にあったため、移動する余裕もなく津波で流れてしまった。保管場所は重要。

 

【中央公民館で】

○シュミレーションでは地震後の津波到来は30分位と聞いていたが、実際には50分で津波が来た。

✖携帯電話のバッテリー残量が少なかった。こまめな充電orモバイルバッテリーを。

✖調理実習室に避難したのだから、津波が来る前に水を汲んでおけばよかった。空腹よりのどの渇きの方がずっと辛かった。

○大島が防波堤の役割をしたので、気仙沼湾の波が弱まった。

✖ビデオカメラとデジタルカメラを持って行ったが、とても撮れる雰囲気ではなかった。しかし、記録は大切なので撮っておけばよかったかも。

 

  震災前と震災直後に関しては以上です。

 

 まずは”日頃の備え”が大切です。「まさか」とおっしゃっていた方が沢山いますが、歴史では過去に何度も大きな地震と津波が来ているのに、なぜ自分が生きている100年弱の間には起こらないと思うのか不思議です。どうやら人間は、未来の恐怖や懸念に対して、脳が無意識に排除をする仕組みになっているようです。健やかな心を保つための体に備わった自然な仕組みなのでしょう。となると、防災は意識的に何度も取り組む必要があるということです。

 

 とにかくバッグの中に携帯電話と飴玉と水さえあれば、数日間は救助を待つことができます。ゴミ袋があれば、体力温存にも役立ちます。津波の場合は、相手もきっと逃げていると信じて、自分一人で高い所を目指しましょう。どうぞ、シミュレーションと日頃の備えをみなさん大切にして下さい。

 

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