《3日目》2011.3.13
2晩目の長い夜が明けました。今まで数回ペットボトルの水がきたので子供達を優先してあげていましたが、残った約400人がのどの渇きに耐えていました。子供達には「のどが渇いちゃうから、お口を閉じようね」と度々おしゃべりをたしなめていましたが、何度も水をせがまれます。調理実習台の上に腰かけながら蛇口をひねるも、出るわけがありません。(やかんも鍋もあるのに・・・津波が来る前に汲んでおけばよかったなぁ)と、とても後悔しました。
この時、私は今でも思い返すと心苦しく忘れられない出来事があります。実は隣に座った60代位の女性から飲みかけの500mlのペットボトルのお茶をいただいていました。断ったのですが「トイレに行きたくなっちゃうから私はいいの」と。お茶の残りは1~2センチ位です。それを、お母さん達の顔色も悪いし、私も限界で・・・5名程のお母さんで分けて飲もうと提案しました。それを聞いてひとりの子供がそばに来て「ぼく、お茶も好きだよ」と言います。それを断って子供達の目の前で・・・女性もそばにいるのに・・・一口づつ回し飲みしました。その時のことが私はずっと忘れられず、あの時本当はもっと我慢できたのではないか、やはり女性にお返しすべきだったのではないかと、未だに心残りです。
その後ヘリコプターからでしょうか?2リットルのお水が1本来て、先生から皆で分けてと頼まれました。私は住民の方へ向かって大きな声で「全然飲んでなくて我慢できない人は?」と聞くと沢山の手が上がりました。食器戸棚から湯呑を取ってもらい注ぐと、「一口づつでお願いします」と言って回しました。最後の1杯の時「まだ飲んでいない方は?」と聞くと6名?7名?の手が上がりました。「最後○名なので、○分の1づつ飲んでくださいね」と言って配り終えました。この時の皆さんの必死な様子で、かなり追い詰められているなと危機感を感じました。(もし3晩目も迎えるなら、水がないと持たない・・・)
その後、ヘリコプターでの救助が始まるらしいという話が聞こえてきました。空を見ると大きな自衛隊のヘリコプターが飛んでいます。(今日こそ帰れるのかな・・・)不安と緊張が込み上げてきました。