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東日本大震災回顧録⑤

 2晩目は調理実習室に誘導されました。床に災害備蓄品の毛布を敷いて、なるべく幅を取らぬよう子供達は頭と足が互い違いになるように密着して寝かせ、上からも毛布をかけます。私ともう一人のお母さんは調理台の上に丸くなりますが、狭くてとても寝られる体勢ではありません。

 

  夜になり下の子にせがまれトイレを探すと、狭い倉庫部屋の真ん中にバケツと桶が置いてありました。しかし吊り下がった懐中電灯の明りの中よく目を凝らすと床が尿でびしゃびしゃで臭いも見た目も強烈です。子供には無理だと判断し2階屋上に出て、建物の隅の排水口で用足しをさせました。下の子はこれが初めての用足しです。私も下の子も2晩いて、用足しはこの一度だけでした。停電で一面真っ暗でしたが、「星がきれいだね」と笑いかけつつ、内心私は脱水症状ではないようだと安堵していました。隣の阿部長商店の冷凍庫では、自衛隊のヘリコプターがライトをつけてまだ救助を続けていました。強風と轟音の中大きなヘリコプターがホバリングする光景を目前に見るのは凄い迫力です。下の子は吹き飛ばされそうになりながらも「かっこいい!」と大興奮です。「明日はあれに乗れるかもね!」と私も耳元で声を張り上げましたが、内心は「明日はここから出られるのかな・・・」と裏腹な想いでした。 

 

  この頃になると体調を崩す子供達が増えてきて、下の子も便秘のせいか腹痛を訴えていました。熱が出る子やぐずる子も見られます。大人達の表情にも疲れが見えます。時間の経過とともに、誰もが疲弊し余裕がなくなってきました。

 

 そして私はこの晩、子供達に一つづつマーブルチョコを配りました。いつどうしようかずっと考えていましたが、自分の子供にだけ隠れてあげることができませんでした。会社には食料が何もなくて、とっさにカバンに詰めこんだ唯一の食べ物です。食べかけなので全員分はないかもしれません。色々考えると迷います。でもいいや!と決めて、暗い中「すみません」と人を踏まないように移動しながら、「明日はきっと帰れるから、もう少し頑張ろうね」と根拠もないのに言って、落とさないでねと一人一人手に握らせてあげました。小さな女の子が「わぁ!チョコだ!」と小さな声で喜んでくれたことが、今でも記憶に残っています。

 

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