· 

東日本大震災回顧録②

 あらゆるものを押し流しながら、津波と漂流物が壁にぶつかり、バリバリと壊れながら建物の中を通過していきます。ガンガンと音が響きグラグラと揺れ、悲鳴と泣き声が聞こえます。見ると窓のすぐそばまで津波が来ています。「ここも危ないんじゃない?」「もっと上には行けないの?」引き波の間に皆で3階の屋上を目指し、外の2階屋上に出ました。

 

 南京錠のかかったフェンスを何とか突破しましたが、屋上点検用のタラップ(固定はしご)は高くてとても手が届きません。イスを積み上げ皆で支え、知らない者同士も協力しながら順に登ります。小さい子はおんぶして、大きい子は下から押して上から引っ張り上げて。おんぶ紐は登ったら下に落として次の子へ、怖がる子は励ましながら・・・やっとの思いで登ると、そこに広がる景色に絶句しました。真っ黒な濁流に流される車と材木と・・・建物は壊れ、無くなり、見渡す限りが壊滅です。大きなフェリー船がありえない速度で湾の奥に向かって流されていきます。

 

 子供達を集めて腰を下ろし、何派目かの津波を受けて、屋上までは津波が来ないとわかり少し落ち着きました。そして携帯電話を取り出すと、通話は叶わず夫へメールをしました。混線した中数回しかやり取りできませんでしたが、義父である社長が無事なことだけわかり少し安堵しました。そして残量が少なかった私の携帯電話は、バッテリーが切れてしまいました。

 

 

 

 私は子供達を不安にさせないよう、努めて普段どおり明るく振舞いました。大人同士余計な会話も出来ません。ただただ惨状に目が行かないように注意をこちらに向け、飽きさせないように気をそらし、時間が経つのを待ちます。そこへ、16:12に朝日町の重油タンクが並ぶあたりから煙が上がり【写真】、周囲がざわつき始めました。

 

戻る